2024年08月08日
黙々とクレヨンにぎる母の夏
◆黙々とクレヨンにぎる母の夏◆
5年前の夏、この頃よく絵を描いていた母であります◆これはいつの日のひまわりだったのでしょう、暑くも明るい夏のようです◆今年の猛暑だったらきっと更に濃く描いたことでしょう
5年前の夏、この頃よく絵を描いていた母であります◆これはいつの日のひまわりだったのでしょう、暑くも明るい夏のようです◆今年の猛暑だったらきっと更に濃く描いたことでしょう
2024年07月03日
丸ごとの西瓜や祖母と孫九人 小島ゆかり
夏が来れば思い出す西瓜のある情景です
亡き母の子は私達兄弟4人(66~74才)
そして孫8人(30才台)
母は私達と西瓜やたくさんの野菜、穀物を育ててくれました
小島ゆかりさんの句の情景を描いてみました
亡き母の子は私達兄弟4人(66~74才)
そして孫8人(30才台)
母は私達と西瓜やたくさんの野菜、穀物を育ててくれました
小島ゆかりさんの句の情景を描いてみました
2024年06月23日
病窓の二句特選や雲の峰
昨日おもちゃ病院と一週延期になった句会が重なり午前は句会に福岡と繋ぎリモート参加◆先日手術された方の病窓のクルーズ船を詠んだ句が特選に・・・◆しかも傍らでその船を見て詠んだ相方さんの句も特選に!◆手術を無事終え今はリハビリ中・・・私たちは以後このふたりを クルーズ と呼ぶことに・・・
2024年03月19日
春風や電車も今はハイブリッド
帰省先で乗った電車には「DENCHA」と記されていました◆なにこれ?と思いましたが、なんとこれハイブリッド電車!
BEC819系[DENCHA(デンチャ)]は電車なのに非電化区間も走れます◆電車のアレが、上がったり下がったり?◆電化区間で蓄電池に充電◆だから非電化区間ではパンタグラフを下げて走ります◆このメリットを評価され2017年にブルーリボン賞を受賞◆香椎線の西戸崎駅~宇美駅はみんなDENCHAです
お洒落なDENCHA車内
車体の下にたくさんの蓄電池
香椎駅ー土井駅を乗車
香椎線は志賀島への海の中道、西戸崎まで走っています
DUAL ENERGY CHARGE TRAIN
BEC819系[DENCHA(デンチャ)]は電車なのに非電化区間も走れます◆電車のアレが、上がったり下がったり?◆電化区間で蓄電池に充電◆だから非電化区間ではパンタグラフを下げて走ります◆このメリットを評価され2017年にブルーリボン賞を受賞◆香椎線の西戸崎駅~宇美駅はみんなDENCHAです
お洒落なDENCHA車内
車体の下にたくさんの蓄電池
香椎駅ー土井駅を乗車
香椎線は志賀島への海の中道、西戸崎まで走っています
DUAL ENERGY CHARGE TRAIN
2024年02月09日
鶏だしのうどん懐かしさとの春
帰郷のおり久々に博多でうどんを啜りました◆鶏だしが太めの柔らかい麺が心に染みました ◆足し放題の天かす刻み葱ととろろ昆布でとりだしスープを飲みほしました◆ し・あ・わ・せ!
メニュー いただいたのは右上の かしわうどん¥620 です
こちらも なつかしかった 佐賀の 丸ぼうろ
昔から家の味噌汁はこの麦みそ◆帰省のおり必ず買ってきます
そして帰路 空弁として 博多駅でこの駅弁を買います◆長崎街道弁当¥1000 ◆街道の名物食材に囲まれてセンターにはなんと人気ナンバーワン 折尾のかしわめし!◆うっ 旨かとです
メニュー いただいたのは右上の かしわうどん¥620 です
こちらも なつかしかった 佐賀の 丸ぼうろ
昔から家の味噌汁はこの麦みそ◆帰省のおり必ず買ってきます
そして帰路 空弁として 博多駅でこの駅弁を買います◆長崎街道弁当¥1000 ◆街道の名物食材に囲まれてセンターにはなんと人気ナンバーワン 折尾のかしわめし!◆うっ 旨かとです
2024年02月07日
故郷へ続く機窓や春立てり
帰省はいつもSKY 001 福岡便 窓側A席で富士山を拝観
話は戻り、離陸直後◆眼下にディズニランド、荒川、江戸川、旧江戸川◆朝日に染まる翼
20分足らずで冨士上空に
やがて南アルプスの山々が見えます
この日はこの後熊野の大峰山が見え写したのですが撮れていませんでした 残念!◆フライト中は機内モードのため位置情報はありません
この便はピカチュウジェットだけど搭乗チュウは分かりません
朝食は自作のおかずとおにぎり
玄海灘の島々が見えてきました◆大島 奥が宗像(むなかた)市 左は地島 右は勝島
相島
福岡に着陸 2024. 02. 03. 8 :18
往路はこんな穏やかな天気でした
話は戻り、離陸直後◆眼下にディズニランド、荒川、江戸川、旧江戸川◆朝日に染まる翼
20分足らずで冨士上空に
やがて南アルプスの山々が見えます
この日はこの後熊野の大峰山が見え写したのですが撮れていませんでした 残念!◆フライト中は機内モードのため位置情報はありません
この便はピカチュウジェットだけど搭乗チュウは分かりません
朝食は自作のおかずとおにぎり
玄海灘の島々が見えてきました◆大島 奥が宗像(むなかた)市 左は地島 右は勝島
相島
福岡に着陸 2024. 02. 03. 8 :18
往路はこんな穏やかな天気でした
2023年12月25日
やはらかに心を開く相炬燵
昔冬ほとんど居間の堀炬燵で過ごしていました◆実家の炬燵が無くなり久しいのですが◆リビングで蜜柑むきながらの団欒は変わりません◆今年も残り少なくなりました
炬燵:冬十二月の季語
炬燵:冬十二月の季語
2023年08月28日
口々に残暑労ふ句会かな
一週間の帰省最終日は実家で行う月例句会でした◆暑い暑いと集まり、冷した部屋に入ってもオーバーヒートした頭はぼ~っとしてしばし回復しません
真剣な表情とてまだ頭が回らない!
いつも神奈川からリモート参加ですが 久しぶりに臨席でき 特別豪華な昼食を挟み 楽しい会となりました◆私の手土産は前月の旅のフォト俳句とその話です
真剣な表情とてまだ頭が回らない!
いつも神奈川からリモート参加ですが 久しぶりに臨席でき 特別豪華な昼食を挟み 楽しい会となりました◆私の手土産は前月の旅のフォト俳句とその話です
2023年08月27日
西方へと描きし精霊船を燃す
長崎生まれの義父は精霊船を願っていた◆船は出せなかったがささやかな絵を送り火に庭で燃した
西方浄土へと願い 合掌
西海の長崎に寄り さらに西方浄土へ・・・
西方浄土へと願い 合掌
西海の長崎に寄り さらに西方浄土へ・・・
2023年08月26日
故父の庭今散り初むる百日白
ちちのにわいまさきそむるひゃくじつはく
百日紅(さるすべり・ひゃくじつこう) 百日白(ひゃくじつはく):夏の季語
百日咲きづける 強いさるすべりの花は 紅が主だ◆特攻隊だった義父は白いのを植えた そして今芝生に雪のように散っている◆さるすべりの百には届かず94歳だった◆久しぶりに施設から戻った義母はよく咲いたと百日紅に目を細めた◆私は昨年行った霞ヶ浦の話をした◆小学生の時 長崎で被爆した義母は血を吸ったようだと赤い夾竹桃を嫌うので 我が家には白いのを植え今では二階まで届くほどに育ちよく咲く◆やはり白は平和の色 今日遊びに来る元気な孫達は被爆4世 平和を守らなければ
百日紅(さるすべり・ひゃくじつこう) 百日白(ひゃくじつはく):夏の季語
百日咲きづける 強いさるすべりの花は 紅が主だ◆特攻隊だった義父は白いのを植えた そして今芝生に雪のように散っている◆さるすべりの百には届かず94歳だった◆久しぶりに施設から戻った義母はよく咲いたと百日紅に目を細めた◆私は昨年行った霞ヶ浦の話をした◆小学生の時 長崎で被爆した義母は血を吸ったようだと赤い夾竹桃を嫌うので 我が家には白いのを植え今では二階まで届くほどに育ちよく咲く◆やはり白は平和の色 今日遊びに来る元気な孫達は被爆4世 平和を守らなければ
2023年08月25日
棚経や空き家となれど招く僧
コロナ前から福岡の義父母は施設暮し◆妻が介護で神奈川から通う時だけの家となっていた◆前々日庭と玄関先を除草し、ふたりで泊り◆前日母を迎えに施設へ三人で泊り◆当日11時僧を迎えささやかな時をすごした◆また母の介護時だけの家となる。
棚経(たなぎょう):秋八月の季語
棚経(たなぎょう):秋八月の季語
2023年08月23日
手土産は毎度実家の庭除草
ずいぶん昔から帰省の折は実家の庭の除草・剪定&畔の草刈りが定番になっている◆コロナ禍で中断したので今回は大仕事◆加えて近年妻の実家も加わっている◆いずれの庭も稲刈り状態、今回は機内に持ち込めない鎌など使い慣れたものを先に送った◆また手におえない松数本チェーンソーで伐採もした。
除草 : 夏の季語
もう一つの実家
除草 : 夏の季語
もう一つの実家
2023年08月22日
台風の雲を翼下に西走す
13日 北上する台風7号から逃げるように九州へ西走
台風 : 秋の季語
羽田を離陸後 十数分 左翼下に富士山が見えます◆今回は台風から伸びる雲で無理かなと思いきやしっかり顔を出していました◆さすが富士山、機はおよそ13000mを飛行しています
8:20 福岡空港にて この日はピカチュウペイントの機でした
機内もいたるところにピカチュー
台風 : 秋の季語
羽田を離陸後 十数分 左翼下に富士山が見えます◆今回は台風から伸びる雲で無理かなと思いきやしっかり顔を出していました◆さすが富士山、機はおよそ13000mを飛行しています
8:20 福岡空港にて この日はピカチュウペイントの機でした
機内もいたるところにピカチュー
2023年03月29日
半世紀立つボタ山の桜かな
母の四十九日法要で帰省した故郷は桜が
満開でした。 毎回迎えてくれるボタ山の裾
にも咲いてたのに電車からは撮れず残念!
中学生の頃炭坑の町 夕張の廃線に続き
故郷 筑豊の幸袋線が廃線になり 幸袋駅
から修学旅行に発った最後の学年でした
当時のボタ山
満開でした。 毎回迎えてくれるボタ山の裾
にも咲いてたのに電車からは撮れず残念!
中学生の頃炭坑の町 夕張の廃線に続き
故郷 筑豊の幸袋線が廃線になり 幸袋駅
から修学旅行に発った最後の学年でした
当時のボタ山