2019年03月22日
彼岸会の太きぼた餅ヤマのボタ
炭鉱の町で育った私は「ぼた餅」とは黒々としたボタヤマに転がるボタからきた名だと思っていました
昭和30年頃の飯塚駅近くのボタヤマ
子供の頃、祖母とボタヤマでボタ石を拾ってきて、砕いた粉を水で団子に練って天日干しし、七輪の燃料:炭団(たどん)をつくったものです
まだ練炭(れんたん)も無かった頃は家事、暖房は万事薪と炭団でした・・・昔々のはなしです
昭和30年頃の飯塚駅近くのボタヤマ
子供の頃、祖母とボタヤマでボタ石を拾ってきて、砕いた粉を水で団子に練って天日干しし、七輪の燃料:炭団(たどん)をつくったものです
まだ練炭(れんたん)も無かった頃は家事、暖房は万事薪と炭団でした・・・昔々のはなしです
Posted by チト at 13:12│Comments(0)
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